テンプル騎士団もメディチ家もユダヤが作ったと考えると……

通常、十字軍はエルサレムのイスラム教徒と戦ったばかりかユダヤ人の各地の村々も襲撃し虐殺していったという。キリスト教と対立するものは何であれ構わず滅ぼしていったような書かれ方をするものが多いが、ユダヤ人はまたしても大変な被害者となってしまい学ぶ人の心を痛める。しかし、果たしてそれが本当の姿なのだろうか疑問を呈する指摘を見ることはあまりない。
たとえ9割のユダヤの人々が虐殺されても一握りのユダヤ人は蓄財や商売、学問や法律、交易の才に長けていて各国の政府中枢に堂々と入っていられたのではないだろうか。まして残酷非情な取り立て能力が必須の徴税官などほとんどがユダヤ人に任されていたという現実がある以上、ユダヤ人を歴史の中で一律に被害者としてばかり見ることができないのは当然のことと思える。
十字軍を期にしたテンプル騎士団の尋常でない事業発展を考えるとき、これを義侠心あふれる騎士修道会の行ったことと考えるのは無理がある。古代からの金融と交易の発展を考えるときに千年間地中海貿易を独占したフェニキア人の活躍と植民事業のノウハウ、各地に離散したユダヤ人ネットワークによる手形取引や外国通貨為替両替の精通したノウハウがこのテンプル騎士団という新たに登場した騎士修道会に注ぎ込まれていったと考えるのは自然なことのように思われる。
歴史的な金融事業発展の端緒となったテンプル騎士団の事業拡大の本質は、姿かたちを変えたフェニキア人とユダヤ人の末裔たちの参入によってはじめて実現したものと考える以外に正解は見出すことは不可能なのではないか。
そもそもフェニキア人とユダヤ人って何がどう違うのか…よく分からない。
同じような場所で同じような時期に活躍し、同じようなときにローマ帝国によって滅ぼされている。片方は交易で片方は金融、車の両輪のような関係にある。言語はフェニキア語とヘブライ語、宗教はユダヤ教とゾロアスター教、多少違ってはいるがこの二つの民族は深い関係性があったのは間違いないものと思う。現代の貿易と金融中心のグローバル経済絶対主義のルーツは明らかにここにあることになる。

そう考えると今だに出自不明とかいわれるメディチ家とは歴史あるユダヤの金貸しがテンプル騎士団に入り込んでその事業乗っ取りに成功した才気あふれるユダヤ人そのものだったのではないか…と推察しても何の矛盾も起きてこない。テンプル騎士団が滅ぼされると、どこからともなく当り前のようにメディチ家が登場してくるのに出自不明とは、ユダヤの言論監視団体さん、いつまでも史実を誤魔化すのはいい加減にしてくれという気持ちになってくる。
メディチ家からはローマ教皇が二人くらい送り込まれており、そうなるとローマ教皇とユダヤのラビの区別がつかなくなってきても驚けない。現代の法衣に身を包み丸い輪のカロッタや五角形のミトラ(司祭冠)などのかぶりものをした姿はキリスト教というよりもユダヤのラビの親分というムードが漂う。とてもプロテスタントの白人が敬愛する姿としてはイメージできませんです。
メディチ家の周りにはユダヤ人の思想家や芸術家がわんさかいたということで、この後ルネサンスに拍車がかかってゆく歴史となってゆく。