ゴールドスミス・ノートが気になる(2)

ゴールドスミスというと人の名前のように思っていたが、ロンドンの金細工職人達が自分達のことをゴールドスミスと名乗っていたことが語源だという。要するにもともとは金細工職人達のギルドの名称ということで理解しておきたい。
 ロンドンの金匠組合というと17世紀のロンドンでの活動を起点にして考えがちだが、すでに100年以上前のイタリア・ルネサンス期には金細工師のお店の様子を描いた絵画には顧客と預金をやりとりをする風景が描かれているということから、金細工師のもとへ金貨を預けて保管してもらうという行為はかなり以前から社会に浸透していたことが伺える。
一方で、ルネサンスを代表する銀行家としてメディチ家の存在がある。ローマ法王とのつながりや為替取引で巨万の富を築いたとされるが、近代銀行業と中央銀行の成立という観点からみて、この金細工師と大銀行家メディチ家とはどのような関係性をもって語られているのだろうか?。
銀行の三大業務として「預金」「貸出」「為替」などが指摘されるが、常識的に考えていずれの業務においても街の金細工師がメディチ家よりも勝って市場を席巻できる要素などがあるはずもない。そもそもバンクという語源がイタリアであるし、損害保険の発祥地もイタリア、海外に眼を向けたマルコポーロもコロンブスもイタリア出身ということであれば、地中海貿易の要衝に位置するイタリアが金融的な知財において真っ先に発展していったことは間違いのない事実であろう。

しかし、そうであるならば、なぜ世界初の株式会社(東インド会社)の発祥地がイタリアでなくイギリスやオランダであったのかという疑問がまた湧いてくる。