ゴールドスミス・ノートが気になる(7)

トンデモナイ金融の世界の誕生!


金細工師が顧客から仮に100億円預かったとして、単なる保管料だけもらっている従来の商売に飽き足らず、ある時からこれを顧客には知らせずに勝手に融資にまわしたとしたら預金量(融資量)はどういう推移を辿るだろうかということを考えてみたい?

もし、月利1%年利12%として全ての経費を7%でおさめ、自己資金が毎年5%づつ増えていったとしたら、世間に対する融資額はどのような展開となるか…【早見表】
とても興味が湧くので一覧表にしてみた。
結論からいえば、融資額は15年で倍増、融資額は100年で130倍となる。
年間5%の純増というのは飛んでもない世界の始まりなのだ、ということが明らかだ。

預金額 100億
融資額  90億(90%)
増加額 融資額の年5%

(初年度) 94億5000万円
( 2年目) 99億 225万円
( 3年目)104億1863万円
( 4年目)109億3956万円
( 5年目)114億8654万円
( 6年目)120億6086万円
( 7年目)126億6390万円
( 8年目)132億9710万円
( 9年目)139億6195万円
(10年目)146億6005万円→10年間で162.889%
(11年目)153億9305万円
(12年目)161億6270万円
(13年目)169億7084万円
(14年目)178億1938万円
(15年目)187億1035万円→15年で倍増する、しかも増えた分はすべて自己資金。

(10年後) 146億6005万円  ×1.628
(20年後) 238億6656万円   〃 
(30年後) 388億5476万円   〃
(40年後) 632億5555万円   〃
(50年後) 1029億8003万円   〃
(60年後) 1676億5150万円   〃
(70年後) 2729億3664万円   〃
(80年後) 4443億4086万円   〃
(90年後) 7233億8692万円   〃
(100年後)1兆1776億7391万円   〃→130倍を達成。

しかし、ちょっと待ってみよう。
ここには融資額の増加は自己資金の増加のみをカウントしているだけで、預金する顧客が増えていくことによる融資額の増加がいっさい考慮されていない。多くの領主や商工業者が金細工師に金貨を預けることによって何らかのメリットを享受していたとすれば、その評判はあっという間に広がってゆくことは当然であるから、黙っていても自分たちもそのメリットや信用を享受しようと金細工師への預金希望者は増えつづけ、年間20%とか30%の増加などは当り前のように推移したに違いない。
そうすると融資額が15年で倍増などというのは逆の意味で現実離れしており、現実に対して変動をスローに見積もり過ぎている可能性が大であり、実際は7年~10年で倍増してゆく展開をみせたものと考えたい。

※WordPressメモ タイトルが一箇所では不便を感じていたが、+マークのブロックを追加メニューの中に「見出し」というものがあり、追加できることを発見した。これはありがたいので、ブルーの文字にすることにした。次はメインタイトル扱いされている「ゴールドスミス・ノートが気になる(7)」の部分を文字を小さくして単なるシリーズ・テーマとしておきたいのだが、やり方が分からない。

ゴールドスミス・ノートが気になる(6)

14世紀のイタリア金融業はかなりの隆盛

WordPressをいじることから少し離れていると、あっという間に一ヶ月以上経過してしまった。困ったものだ。
ゴールドスミス・ノートは気になるものの、これは17世紀ロンドンでの話。その前にゴールド・スミス自体が気になりだした。ゴールド・スミスという名称がロンドンだけのものだといけないので金匠とか金細工師という言葉を使った方がいいのかもしれない。

一体いつ頃から金細工師は顧客から金貨を預かりはじめたのか?。こういう疑問を抱いてネット検索をかけても大した知識が得られない。これは不思議なことだ。少なくてもルネサンス期のイタリア絵画には金細工師のもとに金貨を預ける顧客などの光景が描かれていたという。バンクの語源は14世紀イタリアのフィレンツェのbanco(机、ベンチ)に由来するというのだから、その頃には既に金細工師の活動はかなり歴史を刻んでいたものと考えられる。保険が誕生したのも確かこの頃のイタリアだった。やはり十字軍の遠征がきっかけとなってキリスト教圏とアラブ・イスラム圏の交易が活発となっていった頃には金細工師の業務内容というのは急激な展開を見せていたものと推測される。
 
つまり17世紀ロンドンのゴールドスミスの遥か昔、300年も400年も前から顧客から金貨を預かり、それを金利を取って顧客に貸し付けるという金貸し業務は形成されていったことは間違いないわけだ。
預かっている預金をどのくらい貸付けに回したとしても問題が発生しないか…という試行錯誤も1世代(30~40年)も経てば大体結論が出て、結局9割くらいまで貸し付けても問題なく経営が回っていくことが発見されていたはずだ。
自己資本は年ごとに充実する一方、預金者には金貨の保管料を割安にしたり無料にしたり、もしくはキチンと金利を払って対応するなど、15世紀頃には立派な社会システムとして機能する業界になっていたとみられる。
メディチ家のような大銀行家も出現し、大航海時代を演出する危険だらけの投機資金も難なく捻出され、巨大な資本がなければ到底できない損害保険業務もはじまり、やがて初の株式会社制度(1600年オランダ・東インド会社)を生む原動力となっていったことなどは全て間違いなく連動しているとみられる。

そもそも、こんなこと中学生の教科書にでもキチンと解説しておいてくれれば、現代の一般市民が知識の取得に苦労しないですむのに…と感じざるを得ない。

※WordPressのダッシュボードをいじっていたら、ウィジェットという項目があり、カレンダーという項目をいじっていたら偶然画面に配置できるようになった。この一ヶ月何の進歩もなかったので、一歩でも前進できたことがとても嬉しい。次に覚えたいことは「ゴールドスミス・ノートが気になる」というのは小さい共通シリーズタイトルとして、今の大きな文字は投稿の内容を反映したものにしたい。それでいてサイドバーの「最近の投稿」欄の表示には「ゴールドスミス・ノートが気になる(1)」「(2)」「(3)」と表示されればとりあえず満足できるのだが…?。