ゴールドスミス・ノートが気になる(6)

14世紀のイタリア金融業はかなりの隆盛

WordPressをいじることから少し離れていると、あっという間に一ヶ月以上経過してしまった。困ったものだ。
ゴールドスミス・ノートは気になるものの、これは17世紀ロンドンでの話。その前にゴールド・スミス自体が気になりだした。ゴールド・スミスという名称がロンドンだけのものだといけないので金匠とか金細工師という言葉を使った方がいいのかもしれない。

一体いつ頃から金細工師は顧客から金貨を預かりはじめたのか?。こういう疑問を抱いてネット検索をかけても大した知識が得られない。これは不思議なことだ。少なくてもルネサンス期のイタリア絵画には金細工師のもとに金貨を預ける顧客などの光景が描かれていたという。バンクの語源は14世紀イタリアのフィレンツェのbanco(机、ベンチ)に由来するというのだから、その頃には既に金細工師の活動はかなり歴史を刻んでいたものと考えられる。保険が誕生したのも確かこの頃のイタリアだった。やはり十字軍の遠征がきっかけとなってキリスト教圏とアラブ・イスラム圏の交易が活発となっていった頃には金細工師の業務内容というのは急激な展開を見せていたものと推測される。
 
つまり17世紀ロンドンのゴールドスミスの遥か昔、300年も400年も前から顧客から金貨を預かり、それを金利を取って顧客に貸し付けるという金貸し業務は形成されていったことは間違いないわけだ。
預かっている預金をどのくらい貸付けに回したとしても問題が発生しないか…という試行錯誤も1世代(30~40年)も経てば大体結論が出て、結局9割くらいまで貸し付けても問題なく経営が回っていくことが発見されていたはずだ。
自己資本は年ごとに充実する一方、預金者には金貨の保管料を割安にしたり無料にしたり、もしくはキチンと金利を払って対応するなど、15世紀頃には立派な社会システムとして機能する業界になっていたとみられる。
メディチ家のような大銀行家も出現し、大航海時代を演出する危険だらけの投機資金も難なく捻出され、巨大な資本がなければ到底できない損害保険業務もはじまり、やがて初の株式会社制度(1600年オランダ・東インド会社)を生む原動力となっていったことなどは全て間違いなく連動しているとみられる。

そもそも、こんなこと中学生の教科書にでもキチンと解説しておいてくれれば、現代の一般市民が知識の取得に苦労しないですむのに…と感じざるを得ない。

※WordPressのダッシュボードをいじっていたら、ウィジェットという項目があり、カレンダーという項目をいじっていたら偶然画面に配置できるようになった。この一ヶ月何の進歩もなかったので、一歩でも前進できたことがとても嬉しい。次に覚えたいことは「ゴールドスミス・ノートが気になる」というのは小さい共通シリーズタイトルとして、今の大きな文字は投稿の内容を反映したものにしたい。それでいてサイドバーの「最近の投稿」欄の表示には「ゴールドスミス・ノートが気になる(1)」「(2)」「(3)」と表示されればとりあえず満足できるのだが…?。