プライベートな銀行券の発行こそが時代を変えていった
歴史的にみて、とにかく顧客から預かった金貨を別の顧客に又貸しするという行為が時間をかけて定着していったことは明らかだろう。顧客に無断の又貸しが嫌な業者は預金の管理費用のサービスやきちんと金利なり手数料を払って余分な預金を使わせてもらう合法的な契約をしたかもしれない。とにかく、やがて金貸しは預り金の9割までの融資が可能だという経験値を得ることになる。可能ということは顧客との取引において通常問題が起きないということを意味する。
100億円預かったら、そのうち90億円まで貸しても大丈夫ということは、別の言い方をすれば90億円貸したら終いということになる。これは現代風の金融概念を適用すれば預金準備率が10÷90=11.1%を意味している。しかし、この段階では信用創造という金融機関独特の機能はまだ発揮されていない。ここでは自己資金を遥かに超える融資をが行うことによって資金効率を大きく上げることができるというレバレッジ機能の発見ということである。これはこれで非常に大切な機能なので別途考えるとして、今は信用創造について考えていきたい。
このような状況下、預り証や手形から進化したと思われる「銀行券」なるものが考案され、いつでも額面の金貨と交換可能というキャッチフレーズが喧伝され、また携帯するのに軽くて都合がいいということも手伝って大いに人気となり、顧客がこの新通貨を信じて銀行券を使ってくれるようになることで一体何が起きていったのだろうか…?。結論から言えば「90億円貸したら終い…」ということではなくなる新しい金融の世界が構築されていったということである。金貨という実物通貨を100億円預かっているのだから、金融業務としてはそのノウハウによれば預り金の9倍の900億円の銀行券融資が可能ということになる。実物金貨だと90億まで可能であった融資が、銀行券融資なら900億円まで可能となってしまった。一挙に10倍である。何だか手品を見せられているような話だが、この銀行券の発行こそが、銀行の持つ特殊機能である信用創造の源泉である。
通貨発行権を持っていたはずの国王から見れば、100億円しか世の中に出していなかったはずだから使うにしろ受け取るにしろ貸すにしろ返すにしろその発行された100億の通貨が行ったり来たりしているだけのこと…と思っていた流通している通貨が、金融業者の手にかかることによって自分の預かり知らぬところで世の中に出回る通貨が1000億円になってしまっていたのである。何とも不思議な話だ。
国王がテンプル騎士団に通貨発行権を与えたなどという話は聞いたことがないし、宮廷ユダヤ人には特別に与えていた、などという話も聞いたことがない。そもそも通貨発行権など持ってもいなかった筈の金貸しが国家権力の預かり知らぬところで通貨と同等の銀行券が発行されて機能している世界が出来てしまったことになる。国王の預かり知らぬ「銀行券」なる代物が、いつのまにか実社会では通貨として定着していた。これが時代の実相となっていたとみるべきではないか…。
ただしそれは社会が豊かになって出回っている富が増えたということにはあらず、1000億の借金を金融業者から借り入れた社会が現れたということを意味しているわけである。結果として通貨の発行は借金においてだけ可能となる社会がつくられ、利潤を求めて金利と元金を契約通りに返済していくことこそが仕事となっていく。利潤がありそうな事業にはなんだろうと資金を投入してゆくという現代社会そのもののようなサイクルは実に十字軍以降着々と出来上がっていったわけだ。