ゴールドスミス・ノートが気になる(4)

預り証が銀行券に代わっていった証拠はどこにあるのか…?

ゴールドスミス・ノートとは顧客から預かった鋳造貨幣に対して発行された金匠の預かり証であり、これが現代の紙幣へと発展していった近代銀行制度の原点…、と、ちょっとネットで検索してみてもいたるところに書かれている。確かにゴールドスミスにより発行された預り証の画像なども見ることができる。
しかし、これが銀行券へ変化していったという画像はいくら探してみたところで、ひとつも出てこない。これはどうしたことか…?。
そんなことがあり得るのだろうか?。

例えば1億円分の金貨を預かる、1億円の預り証が発行される。まずそれは分かった。問題はそこから先、どういう問題が生じ、どういう展開を示したのだろうか…?。という点だ。
間違いのないことは、保管料を取って金貨を預かり保管するといった業務ではないさまざまな業務が時が経つにつれ増えていくことによって、「銀行券」というものの発行が当然のように必要になっていったということが考えられる。当然のようにという意味は、金匠からも顧客からも何とかして欲しいというニーズが高まったということだろう。どのような業務が増えていったのか?
融資業務、支払い業務、送金業務、為替業務、両替業務、預金勧誘営業…等々、これら金融業務というものは、増えはじめたら切りがないことは容易に察しがつく。これら業務の増大に対して実物金貨のやり取りや振替、預り証の書き換え・廃棄・新規発行の繰り返しでは耐え難いさまざまな煩雑さが金匠にも顧客にも生じていったのではないか?。
こうした背景が、やがて実物金貨でなくとも「いつでも金貨と変えられる保証があるなら私的に発行される金券・引換券・銀行券など紙幣でもいいよ…」となっていったのではないかと推察するのが適当と思わざるを得ない。