ゴールドスミス・ノートが気になる(8)

15世紀には準備金概念に基づく
融資レバレッジはできあがっていた

17世紀のロンドンのゴールドスミスについて語られるとき、要点は二つにまとめられると思う。
一つは
(1)顧客から預かった金貨を安全に保管しているふりをして、実は裏では顧客に無断でその預り金を貸付けるなど融資資金として使い、大勢から金利を取っていた。これは自分のものでもないお金を勝手に又貸しして利益を得るのだから立派な詐欺ではないか…?、という論点がまずある。
 
次に
(2)金貨を預かるときに発行していた「預り証」がいつのまにか紙幣へと変容して通貨を代用するものになっていった、という論点がある。これには異論もあるようで、その後百年以上経っても一向にその証拠となるような預り証が見つかっておらず、相変わらず預かったことを証する証文であったとする見解もある。
どういう経緯をたどって個別の銀行が発行した紙の銀行券が国民の間で通貨として認められていったのか…という問題は確かに重要だが、国家が発行したわけではないプライベートな銀行券が国の経済の流通を支配する通貨となって広まっていったことこそ重大なことのように思える。

(1)の詐欺ではないかという論点については、前回の投稿で試算したように、最初は詐欺であったとしても10年~15年経過してしまえば自己資金で融資がはじめられるようになってしまうのだから、当初は詐欺でも時が経ってしまえば合法的な行為に早替りしてしまうのであれば、歴史的にみてあまり重視すべき問題ではないと思える。
また、金庫での保管料を預金者には割引したり、無料にしたり、預金に対しては金利を払ったりすることによって預金運用に関しては完全に運用主の行為は合法化できるわけだから、悪事の核心を暴く…的な解説を読むと、何だか違うのでないかなあ…?、などという気になってくるわけだ。
 むしろ預かった預金の9割を貸出に回しても経営を問題なく回していくことが出来る…という融資限度を見極めるレバレッジの発見こそ歴史的な大発見だったように思える。
現代では中央銀行の決める「準備金率」さえ守っていれば幾ら顧客の資金を又貸ししようが当り前に合法的な行為とみなされるに至っているが、その原点がここで形成されたということであろう。

では、その原点が形成された時期はいつ頃なのか…、という問題が浮上する。
地中海貿易の発達による北イタリアの諸都市で本格的な損害保険が生まれたりバンクの語源がこの時期に辿れるということだから14世紀にはおおよそ形になってきていて、1492年のコロンブスの大航海が始まる頃にはほぼ出来上がった金融システムだと考えておきたい。ちょうどその頃の、15世紀にはメディチ家など大銀行家も出現したわけだから、当たらずとも遠からずだと考えておきたい。
つまり、17世紀のロンドンのゴールドスミスが登場する200年も前には金融レバレッジというものは既に完成されていた、というようにとりあえず見ておきたい。