ゴールドスミス・ノートが気になる(9)

十字軍遠征の戦費はどこから調達?

あっという間に日が経ってしまう。1週間、2週間と経ってしまうと、前回最後に書いたときの自分の問題意識が何であったのかも、すぐには思い出せない。年を感じる。
とにかく、まず金匠がいつごろから顧客から金貨を預かり始めたのかを知る必要があると思ったわけだ。次にその預金を融資にまわしても問題が起きないことを金匠が発見し、最終的に預けられた預金量の9割まで貸し付けてもOKということを会得して、自己資金の何倍も貸し付けて収益を最大化させたいった時期を知りたいわけだ。要するに、レバレッジを効かせると利益が飛躍的に増えることを金貸しは知るわけだ。これこそ一大金融革命だろう。
そしてその時期を見定める一応の目安として、十字軍以降の北イタリアの金融組織の隆盛から莫大な投機資金が必要であったろうルネサンス期の大航海時代の始まりあたりまでの300年間が一番怪しいというか、金融世界の大変革期とみられることから、この時代に完成されていったシステムであろうと私は勝手に当りをつけた。ここまでが前回の投稿だったように思う。
北イタリアのいフィレンツェ、ヴェニスの隆盛時代がストレートに結びつくわけだ。

しかし、そこでえらく引っかかる問題があり、やたらと気になって仕方ない。そもそも、その十字軍遠征を可能ならしめた巨大な戦費はどこから来たのかということである。ローマ教皇に金を貸し、その呼びかけに呼応して遠征に参加しようという各国の国王や貴族に金を貸すって、学者が文字で書くのは簡単でも現実には簡単に出来ることではないだろう。すでにこの時点で巨大な金融勢力の存在がイタリアを中心に存在していたことは疑いようがないように思われる。
ルネサンス期であれば、それは「宮廷ユダヤ人」なら可能だったのではないか…?、などと強引に推理できたとしても、あまり無理とは思えないのだが、十字軍はその400年前のことである。ましてこのとき各地に散在していたユダヤ人部落は無惨にもひどく殲滅されてしまうわけだから、当時の巨大な金融勢力がユダヤ組織であったと考えることには無理がある。味方を殺しても平気な勢力が既にこの当時から存在していたと考えるのは常識的には無理である。

そうであるのなら、11世紀には既に巨大な金融勢力があったとして、それはどこから来たのか…ということを知らなければならないことになる。素人考えながら思い浮かぶことは、何故イタリアの地で14世紀に損害保険や銀行の誕生など制度的に金融革命的な出来事が起きたのか…ということである。イタリアと言えば真っ先に思い起こすのは、この地にかつてあのローマ帝国が存在したということである。そして地中海といえば、そのローマ帝国が1000年以上にわたり地中海貿易を一手に仕切ってきたフェニキア人の要衝・カルタゴを滅ぼした帝国である、ということである。
1000年以上地中海貿易を一手に仕切ってきた…ということが、どういうことを意味しているのか理解することは容易でない。1000年の間一体、どれだけの交易基地が増え、数多くの船が地中海に作られていっただろうか?。交易が増えるということは決済が増えつづけるということであり、つまりは預金・貸付・手形・小切手・為替相場などの金融業務は当り前のように大きく膨れ上がり金融技術も大きく変化し発展していったに違いない。
そしてBC146年、カルタゴがローマ帝国に滅ぼされたからといってフェニキア人が全員虐殺されたわけでもないのだから、今度はローマ帝国の支配管理下で交易と金融を継続させていったに違いない。ちょっと驚きだが、後のローマ皇帝の中には敗軍の民・フェニキア人の血を引く皇帝までいるということだが、にわかには信じられない。しかも、あれほど禁じ弾圧したキリスト教が国教にまでなってしまうというのは何とも不思議でもある。
とにかく、地中海貿易を一手に牛耳っていたフェニキアの1000年、その滅亡から十字軍遠征までの1100年、その2000年余の間に産業と金融の世界にどのような変化が生じたのか知らないということは、ちょっと致命的で辛すぎる知識不足だ。