ゴールドスミス・ノートが気になる(11)

騎士道精神と事業拡大能力の両立???

テンプル騎士団が金融の世界に対して果たした役割は非常に大きなもののようで、現代人の想像を超えていると見るべきだ。最大の謎は聖地巡礼者を危険から守る警護を目的として創設された騎士団は、どちらかといえば義侠心に燃える精神的価値実現を追求する真面目な堅い集団であったはずなのに、それがやがて国家を凌駕するほどの巨大な金融事業と経済活動の担い手といえるほどの巨大集団に何故変貌していったのか…という点だ。
その悲劇的な結末がフランス国王(フィリップ四世)の非道とローマ教皇の非道をあからさまにする内容であるため、世界史の中では伏せておきたい部分であったことも問題を分かりづらくしている。
常識的に考えてテンプル騎士団が本来持っていたと思われる堅物の宗教家や騎士道精神が金融や事業拡大の経済運営を本格的に志向するわけがないのだから、テンプル騎士団の創設メンバーの中にはいつしか交易と商売の血を象徴するフェニキア人の血とノウハウ、金融を象徴するユダヤの血とノウハウが深く入り込んだと考えるのが自然だろう。
第一回十字軍遠征の勝利(略奪)の結果できた十字軍国家・エルサレム王国からソロモンの丘用地がテンプル騎士団に寄贈され、そこのソロモン宮殿跡地にテンプル騎士団の本部が置かれたわけだが、この地こそその昔のユダヤの地であり、その北側にはフェニキアの地(レバノン)であったことからみても、ますますテンプル騎士団へのユダヤ人とフェニキア人の侵入が問題とされなければならないはずである。
そのへんの雰囲気は単なる啓蒙団体だったイギリスのフリーメーソン組織の中にイルミナティ勢力が侵入してゆく過程と似たものがあったはずだ。

西欧諸国が来たるべき新時代に向けて国家の形成期にあった時代である。ローマ帝国が西と東に分裂したのが395年、西ローマ帝国が崩壊したのが476年。その後にできた巨大帝国・フランク王国も843年に西フランク王国東フランク王国中部フランク王国に3分割されてしまった。ロシアの前身となるノヴゴロド国、イングランドのノルマン・コンクエスト、スペインのレコンキスタ。
そうした時代に諸国を統治しようとした支配者階級が一番求めたものは何であったろうか…?。それは自己の統治の正当性を認めてくれる存在であり権威を与えてくれる存在であるのは当然である。そこには宗教的権威は不可欠なものとなっていた。そんな時代背景のなかローマ教皇ウルバヌス2世により十字軍遠征は呼びかけられたのである。
これに呼応する諸国の様を見ると、全ての新興国家が喉から手が出るほど自己の統治の正当性と国家の権威と承認を欲していたであろうか、…想像に難くない。
この社会的ニーズに見事に乗ったのがローマ教皇でありテンプル騎士団だと見ることができる。